目次 †
嵐の時代 †
概要 †
教会暦第7期の100年間(7:00~7:99)は「嵐の時代(Storm Age)」と呼ばれ、戦火の渦(storm of violence)がセダス全土に広がることを予見した教皇ホーテンシア三世によって命名された。
主な出来事 †
- 嵐の時代7:5
- 当時のフェレルデンでは正当な王位継承者がおらず、アーランド・セイリンか彼の従姉妹であるソフィア・ドライデン(当時の彼女の地位は女伯爵)のどちらかをその候補に推す声が多かった。
結果的に王に即位したのはアーランドの方で、この争いに敗れたソフィアは命はとりとめたもののグレイ・ウォーデンに加入することになり、彼女はその後ウォーデン提督の地位にまで上り詰めることになる。
- このあたりの経緯についてはDAOのDLC「ソルジャーズ・ピーク」を参照のこと
- 編者注:以前から暴君として知られていたアーランドは国王になってからもその振る舞いは変わらず、これを危惧した男爵達はこぞってソフィアに助けを求めた。これに同意したソフィアはグレイ・ウォーデンの力を借りて反乱を起こすものの失敗。詳細は本編に任せるが、この時にグレイ・ウォーデンが反乱に加わったために自分に反旗を翻したと感じたアーランドは、グレイ・ウォーデンへの援助を中止しフェレルデンから彼らを追放した。この追放されたグレイ・ウォーデンの帰還が許されるのは9:10のマリク王まで待たなければならない…というのが(本編でも描かれている)DAOの背景。なおフェレルデンの封建制度については有徳の時代を参照。
- 嵐の時代7:23
- この時期までにクナリ族はセヘロンとリヴェインにまで後退を余儀なくされていたものの、それでもクナリ軍はまだ根強く組織されていた。
このような背景の中むかえた「Nocen Seaの戦い」は歴史上最大の海戦として知られている。しかしこの合戦で両軍は甚大な被害を被り互いに疲弊しきってしまい、戦局は袋小路へと入っていくことになる。(注:Nocen Seaの海域を挟んで、北にセヘロン、南にテヴィンター本土がある)
- 嵐の時代7:25-7:85 →【新有徳軍の遠征】
- 新有徳軍の遠征(New Exalted Marches)が開始。
今回の有徳軍は、テヴィンター東部に位置する都市カリナスとセヘロンの奪還を目指す大帝国教会と、リヴェイン奪還を目指す教会の名の下に発動されたもの。
- 編者注:新有徳軍(New Exalted Marches)について:http://dragonage.wikia.com/wiki/Qunari_Wars
6:30にクナリ族がパー・ヴォレンに上陸したことから、一世紀以上にもわたって続けられたクナリ戦争(6:32~7:84)の後半戦に発動された今回の有徳軍は、合計で三回の遠征を行いこの年の遠征が第一回目ということになる。ちなみに二回目は7:52、三回目は7:55にそれぞれ行われている。
- またこの遠征中にオーレイはクナリから「コズルンの書」を盗み出している。
- 編者注:コズルンの書(Tome of Koslun)について:http://dragonage.wikia.com/wiki/Tome_of_Koslun
DA2のAct2ではこの書物をめぐって話が展開されていくが、そもそもこの「コズルンの書」とは「キュン」を創設したアシュカリ・コズルンによって執筆されたもの。「キュン」の教えは全てこの「コズルンの書」に基づいている。
http://dragonage.wikia.com/wiki/Qun
この時期にオーレイの手にわたり、後に結ばれるローメリン協定締結後も戦利品としてオーレイが所有していた。9:31にオーレイはクナリにこの教典を返却することに同意するが、クナリの手に戻る前に盗賊によってこれを奪われてしまう。これがDA2の伏線になるわけだが、要するにクナリにとって「コズルンの書」とは、イスラム教のコーランやキリスト教の聖書にあたる最も重要な『聖典』といえる。
- 嵐の時代7:28
- ハイドラゴンのウルザラが暴れ回りそれに追従するドラゴン教団の面々によって自由連邦の北部が荒廃。民兵によってドラゴンが討ち取られるまでこれは続いた。
- 嵐の時代7:34
- テヴィンターでは、魔道師の地位にあったノーマランが執政官に選出され、国内の政治に魔道士は関与しないとするそれまでの慣習を覆した。
- 嵐の時代7:44
- オーレイの新皇帝にフレイヤンが即位。彼の即位後オーレイでは女性でも騎士の称号を持つことが許されるようになった。
これは過去に行われた闘技大会で著名な騎士カレヴァを破って優勝したにも関わらず、女性という理由で処刑された騎士アヴェリンの武勇を讃えるべく、騎士の叙勲が女性には許されなかったそれまでの慣習を新皇帝が廃止したためである。(注:騎士アヴェリンについては「DAO本編Codex>書物・詩>オーレイの騎士アヴェリン」に詳しい)
- 嵐の時代7:52
- この年に第二回新有徳軍が行われたものの、反攻に出たクナリによってアンティヴァが再び占領されるなど散々な結果に終わる。
- 嵐の時代7:54
- クナリがEstwatch(自由連邦の東にある島)に上陸し、集結させた戦艦の拠点として利用。
- 嵐の時代7:55
- 「フェリシシマ艦隊(Felicisima Armada)」を名乗る海賊の一団がローメリンで結成。この集団によって周辺海域からクナリが駆逐される。
- また三回目となる最後の新有徳軍の遠征が開始。
- 編者注:ウェイキング海の海賊(Raiders of the Waking Sea)について:http://dragonage.wikia.com/wiki/Raiders_of_the_Waking_Sea
ローメリン(リヴェイン南の小島のこと。島内には同名の街もある)は、後にクナリとの協定が結ばれた土地としてよく知られているが、現在では「ウェイキング海の海賊」の存在も名高い。単に「海賊」という略称で呼ばれることもあるが、世間一般には「フェリシシマ艦隊」という通り名の方が有名。
ローメリンとEstwatchを拠点に現代ではセダス中の海域を牛耳るまでになるこの集団は、海賊が集まって出来た連合体のようなもので、組織を司り全体をまとめあげるようなリーダーは特に存在しない。普段は各々の海賊が独自のルールで海賊家業に勤しんでいるのが基本といえる。
海賊が組織されたそもそもの背景として、大陸ではますます強大化するクナリ艦隊に対抗するために早急にセダス中の船を集める必要があり、以前から存在していたローメリン周辺の海賊は大陸側につくかクナリ側につくかの判断を迫られた。こうして「フェリシシマ艦隊」を結成した海賊たちによって、海上輸送を襲われたクナリは補給路を絶たれる結果となったのである。その後も活躍した海賊は、ローメリン協定締結後も(人々の期待とは反対に)組織は解体されず現在に至っている。
ちなみにDAOでは「サイレンの呼び声」という船の艦長としてイザベラが登場するが、この「サイレンの呼び声」は「フェリシシマ艦隊」に属しており、DA2で登場するイザベラは元海賊ということになる。また「ウェイキング海の海賊」はアヴァー人と同様にDAIに登場することが確認されている。
- 嵐の時代7:56
- (海賊によって)後退を余儀なくされたクナリであったが、オストウィック(ヴィマーク山脈を挟んでカークウォールの東に位置する港町)に上陸したことで攻撃の足場を確保した彼らは、軍をスタークヘーヴンとカークウォールに向け侵攻を開始。
スタークヘイヴンはこれを撃退することに成功したものの、サレバスの魔法の前に陥落したカークウォールの方は、7:60にオーレイのシュヴァリエによって解放されるまでクナリに占領を許した。
- 嵐の時代7:60
- クナリの占領からカークウォールを解放するべくオーレイがカークウォールにシュヴァリエを派遣。これを指揮していた騎士ミシェル・ラファイユによって設立されたのが「カークウォール衛兵隊」である。また当時のカークウォールはオーレイに非協力だったため、オーレイの皇帝は彼を最初の子爵に任命しこれを統治させた。
- 嵐の時代7:78
- 「フェリシシマ艦隊」がクナリとの大規模な海戦に臨み、Estwatchを奪取。
- 嵐の時代7:84 →【クナリ戦争終了】
- ローメリン協定が締結(ローメリンで調印されたためにこう呼ばれる)。
この時期の互いの戦局を見ると、クナリ族はパー・ヴォレンやリヴェイン北部の都市コント・アーに追いやられており、一方の大陸ではクナリをこれ以上追うよりも一連の騒動で荒廃した土地の復興に注力することの方が重要視されていた。こうした背景のもと、大陸側の人間(テヴィンターは除く)とクナリ族との間で協定が結ばれたことでようやく戦の終結が宣言されたのである。(注:ローメリン協定については「DA2の本編コーデックス>知識>ローメリン協定」に詳しい)
ただし依然としてテヴィンターとクナリとの間では諍いが絶えず、クナリがパー・ヴォレンの再建で当地に引き返すまでは小競り合いが続いていた。
- 嵐の時代7:88
- フェレルデンにその教えを広めたという功績から、教会がカレンハド・セイリンを聖別(世俗から切り離して神性な存在に聖化すること)。
妻Mairynに遺されたというカレンハド王のネメトスという剣は、フェレルデンの王位を象徴するような存在となった。
- 嵐の時代7:90
- (カークウォール内にある)処刑塔で名の知られた背教者、螺旋眼のセリドウェスが静者にされる。
- 嵐の時代7:99
- 嵐の時代の終わりと共に、教会ではオーレイの皇帝エティエン1世が双子を授かるという予言を得る。当時皇帝は長期間子宝に恵まれておらず、国内では彼の死後、後継者不在のまま内戦に突入してしまうのではないかという懸念があった。そのためこの予言はこういった懸念を一掃すると同時に、来るべき未来の繁栄と恵みを予見させるものでもあった。こうして次代は祝福の時代と命名されることになったのである。
関連ページ †
分類 †
【あ行】
【ストーリー・年表】