Imperial Chantry発足の経緯について:http://dragonage.wikia.com/wiki/Imperial_Chantry
- そもそも皇帝ドラコンが最初の教皇にJustinia1世を任命した時(1:1 Divine)、テヴィンターの人間はこれを快く思わなかった。というのもオーレイが帝国として成立する前からテヴィンターでは独自のChantryといえる組織がArchonの手によってすでに存在しており、アンドラステが亡くなったテヴィンターこそ聖なる地であるという自覚もあった。(注:テヴィンター暦のHessarianについてを参照)
- テヴィンターは歴史的に見て非常に魔法を重んじてきた国であり、魔法を軽んじることは古代の祖先を蔑ろにするようなもので、他国では異端視されるメイジもテヴィンターではエリートの扱いを受ける。テヴィンターの人間にとって魔法とは才能であり文化の一つであり、それを操るメイジは尊敬の対象でもあったのである。
- こういう背景はChantryも十分承知していたので、発足後のChantryはテヴィンターのエリート(要するにメイジ)を支配しようと試みるが、結果的にChantry下にあっても国内でテヴィンターのメイジの権力と影響力が失われることはなかった。
- またテヴィンターのGrand Clericは、自国の文化背景を鑑み、テヴィンターが男性の司祭をもつことを認めるようオーレイのChantryに対して幾度となく誓願していた。Chantryはこの要請をことごとく拒否したものの、テヴィンターでの布教活動はますます困難になっていく。ちなみにChantryが司祭に決して男性を受け入れない理由として、アンドラステが女性だからというだけではなく、マフェラスの裏切りに象徴されるように、男性は教えを受ける側だとするChantryの基本理念があるからである。
- 第三次ブライトが終了して、Chantryはかつてブライトを引き起こしたとされる古代のmagisterに関する説教を開始する。これによって魔法に対して不信を全面に出すChantryと、魔法を重んじるテヴィンターの間で軋轢がますます表面化し、テヴィンターのGrand ClericがChant of Lightの有名な一説『magic exists to serve man, and never to rule over him』を「魔法は他者の心を操るためではなく社会に貢献するためにある」と解釈すべきだと主張したことで、この対立もいよいよ本格化した。
- メイジは監視するのではなく解放すべきだとするテヴィンターに対し、ChantryはGrand Clericの主張を撤回するよう要求。ヴァル・ロヨーの腐敗をもって自分達の主張は正しいとするテヴィンターは、Circle of Mageの一員でもあったValhailを教皇とするImperial Chantryを正式に設立した。