目次 †
有徳の時代 †
概要 †
教会暦第5期にあたる「有徳の時代(Exalted Age)」は5:00〜5:99の100年間を指し、前の時代から続く有徳軍遠征(Exalted March)がこの時代でも継続されていたために、教皇Justinia2世によって命名された。
主な出来事 †
- 有徳の時代5:10
- 対テヴィンター(対大帝国教会)有徳軍の四度目となる最後の遠征は、有徳軍がオーレイに引き返したことで終息を迎えた。2年後に起こる第四次ブライトがなければ、有徳軍の遠征は継続して行われていただろうといわれている。
- Calenhad the GreatがHigheverの商人の三男として生を受ける。(注:後にフェレルデンを統一するカレンハド王のこと。本名はCalenhad Theirin。現在まで続くTheirin王家の祖)
- グレイ・ウォーデンがAlamarriのteyrn達と協定を結び、デネリムに要塞を建設。これはダークスポーンへの哨戒を目的とするもので複数の駐屯地も同時に設営された。
- 有徳の時代5:12 →【第4次ブライト開始】
- 古代神アンドラル(Andoral)の覚醒とともに第四のブライトが開始。大陸の北東及び北西地域でダークスポーンが大量発生し、国王一家が皆殺しにされたアンティヴァは壊滅、ダークスポーンの軍勢は更にその勢いのまま自由連邦やリヴェインになだれこむようになる。
またブライトの浸食はアンダーフェルスにも及び、首都Hossbergが包囲攻撃を受けるほどであった。一方オーレイやテヴィンター大帝国も同様に襲撃を受けるものの、数で圧倒されることはなかったため、自国の防衛には成功しダークスポーンを地底回廊へと追いやった。しかしながら大帝国は自由連邦やアンダーフェルスへの援軍を送ることは拒否、オーレイも僅かばかりの援軍を送るにすぎなかったのである。
- 有徳の時代5:16
- この年教皇に就いたRosamundは当時まだ19歳で、これは史上最年少での就任だった。
- 有徳の時代5:20
- グレイ・ウォーデンの指揮官Garahel率いるウォーデンとアンダーフェルスの軍勢によって、7年もの期間包囲されていた首都Hossbergの解放に成功。
- 編者注:当時のアンダーフェルスは国王Henaultがオーガの手にかかって死亡。まだ幼かった彼の息子に代わり妻であったMariwenが女王としてアンダーフェルスを統治していた。しかし国内ではこの女王を支持する貴族がほとんどいなかったため、実質グレイ・ウォーデンによって国が維持されているようなものだった。
こうした背景の中でGarahelが首都包囲を突破したため、女王Mariwenはグレイ・ウォーデンへの惜しまぬ援助を誓約したという(代わりにGarahelがMariwenを公に支持することを求めたりもした)。
http://dragonage.wikia.com/wiki/Anderfels
- この頃のKirkwallでは、ナグがブライトを運んでくる有害な動物だとして公に通知され、「Battle of Squealing Plains」として知られるナグ撲滅運動に発展。
- 有徳の時代5:21
- ダークスポーンの攻撃によって壊滅状態だった自由連邦であるが、急場をしのぐためのウォーデン拠点の代用地として、シャトーヘインがヘイン要塞として利用されるようになる。
またシャトーヘイン内に現在でも残るRetreatと呼ばれる洞窟は、この時期にグレイ・ウォーデンによって掘り進められたもの。ブライトの脅威から逃れようと、自由連邦やカンバーランドから多くの避難民がこのRetreatに押し寄せたという。
- 有徳の時代5:22
- Hossbergにおける首都包囲の解放に成功したGarahelは、続いてオーレイとアンダーフェルスからウォーデンをさらに集め、今度はスタークヘイヴンへと進軍した。彼はそこで自由連邦のあらゆる領主(王やteyrns)と協調し、グレイ・ウォーデンの旗のもと軍を北へと進めるのである。
- 有徳の時代5:24 →【第4次ブライト終了】
- Ayesleighの街中で戦いが繰り広げられ、アンティヴァを解放することに成功。この戦の代償として指揮官Garahelを失うことになってしまうが、同時にアンドラルの討伐も果たされた。残された大量のダークスポーンも完膚なきまでに打ちのめされ、再び平穏の時が(オーズマーのドワーフ族はそれでも闘いを続ける必要があったが)戻って来る。
- 有徳の時代5:25
- 第四次ブライトで数多くのグリフォンが殺されてしまい、後のグリフォン絶滅へと繋がる。
- 有徳の時代5:33
- Calenhad Theirinが「White Valleyの戦い」で Teyrn Simeonに勝利し、「teyrn of Denerim」と命名される。
- 有徳の時代5:37
- Van Markham家からは初めての王となる、Tylus Van Markhamがネヴァーラの王に即位。
それまで王位にいたNestor Pentaghastは、自分の家系がカンバーランドの地で亡くなったドラコンの息子の直系だとするこのTylusによって殺された。
- 編者注:ちなみにこの後のPentaghast家は祖先の地であるハンターフェルに一旦戻るものの、Steel AgeにVan Markham家が世継ぎがなく途絶えてしまったことを機に、再びネヴァーラの王位に就く。現在のネヴァーラはSteel Ageに始まったこの第二期Pentaghast王朝が継続したもの。Pentaghast家については栄光の時代も参照。
- 先のブライトで名声を高めていたTylusの存在は、対オーレイにおける自由連邦西域(注:つまりネヴァーラのこと。この時点まではまだネヴァーラは自由連邦に属する都市国家の一つだった)の建国機運を高めるほどだった。また彼が率いる軍勢もオーレイとの数度の闘いで勝利をおさめたため、これはTylus軍が強力であることの証明にもなった。
こうしてネヴァーラはTylus王のもと正式に国家として成立し、その後も勢力を拡大していくのである。
- 有徳の時代5:38
- オーレイを脅威と感じ、Tylus王のもと自由連邦西域の国家意識が高まったことによって正式に建国したネヴァーラは、その後も国境で繰り広げられたオーレイとの戦いに勝利。国家としてますます拡大していく。
- 有徳の時代5:42
- デネリムではカレンハド王が即位(即位の経緯については、本編コーデックスのカレンハド伝説を参照)。かつては多くの派閥がひしめきあい戦の絶えなかったAlamarriの地も、ようやくフェレルデンとして彼のもと統一が果たされることになった。それでも僻地へ行けばまだ原始的な人々が残っていたりもしたが、以前は蛮族が放浪するような野蛮な土地が国家として体を成すまでに至ったのである。
- 有徳の時代5:71
- 在位年数が55年にも及んだ教皇Rosamundが死去。彼女の死を聞いた多くの人々は、深い哀しみに包まれたという。
一方新たに就任した教皇Amara3世は、Rosamundとは対照的な狂信的指導者といえ、maleficarを焼き殺しそのかがり火を見て悦に入るような人物だったため、彼女の治世は長く続かなかった。
- 有徳の時代5:99
- 有徳の時代が終焉をむかえ、教皇Theodosia1世は次代の年号を鋼の時代と命名した。
これはアンティヴァのMadrigal女王が暗殺されたことによる。森の奥深くで狩人が彼女の遺体を発見した際、その胸に4本の鉄製(steel)の剣が突き刺さっていたからである。人々はこの暗殺劇が謎多き黒カラスの仕業ではないかとしきりに噂した。
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【ストーリー・年表】